ougatakenji
女叩きについて年上の友人男性に尋ねたら
「え?女叩きって信じられん。だって俺、女好きだもん」と即答。
ネットの女叩きを見せると
「こいつら男って云うより若い嫁をイジメる婆さんみたいだな。心に橋田壽賀子飼っているんじゃね?」
と返答。
そうか、女叩きする男は心に橋田壽賀子を飼っているのか。
産経は新聞では無く自民党の機関紙なので何を書き飛ばそうと信仰の自由だが、読売は新聞なので罪深い
otsune:

ジェラード on Twitter: “この写真を見て、私は逸ノ城が好きになりました #sumo http://t.co/B6Vwv6Qgyu”
「犯罪白書」によると、高齢者の暴行事件はこの20年で48倍に激増、ほかの世代に比べ突出した伸び率を示しています。またその3分の2が初犯である事から、なぜごく普通の高齢者が突然事件を起こしてしまうのか?さらに、「社会からの孤立」や「定年後の焦り」また「認知症の症状」など暴力を振るってしまう高齢者が置かれた状況を見ていきました。

スーパーに買い物に行ったら駐輪場で、自転車につけた風船を外そうと頑張っている親子がいた。

最初は「あー、つけたら外れなくなっちゃったのかな」と思ったんだけど、
そこに女子高校生?が登場。

「あのー、私の自転車なんですけどー」

風船ドロ発見!でした。

何をしていたかを悟った女子高校生はふじこふじこな母親を尻目に子供に向かい
「ボク風船欲しかったの?頂戴っていえるかな?」
と優しく言い、子供も「ちょうだい」「(もらってから)ありがとー」と。

そして逃げようとする母親に
「ちゃんとお礼が言えるいい子に、盗んだ物をあげるのはやめてあげてください」
とハッキリクッキリ言い切った。

すごいなぁ女子高校生。
私は思ってても絶対言えない。

4年の放浪の果て、男は息子と一緒に女を捜しはじめる。
そしてヒューストンの下町の「のぞき部屋」で彼女が働いているのを見つける。
男は、女とそこで客として再会するのだ。
愛を復活させないように心を閉ざして、ストイックに再会するのだ。

「のぞき部屋」では客側から女を見ることが出来ても、向こうからは客の姿が見えない。
つまりはマジックミラー。
暗い方から明るい方を見ることはできるが、逆に明るい方から見るとガラスは鏡になっていて暗い方を見ることはできない。
写るのは自分の姿だけ。
向こうからは決して男の姿は見えない。常に一方通行。
声がマイクを通じて伝わるだけだ。


男は、ある友人の話として男と女の話を語る。
女は途中で話しているのが誰だか気がつく。
男は女の部屋の明かりを消させ、自分の顔に明かりを当てる。
女はマジックミラーの向こうに男の姿を見る。
そして逆に、男は女の姿を、見失う・・・。


名人ヴィム・ヴェンダーズはこのシーンだけで「男と女の愛とは何か」を描ききった。
いままで何千という映画が苦労して描いてきた、男女の愛のすれ違い、男と女の距離感、そして「愛のように見えたものの姿」を見事に象徴してみせたのだ。たった一場面で。


マジックミラーには自分の顔が写っている。
ぼんやり見える女の顔に重なって、自分の顔だけがはっきり見える。
なんてすごい場面だろう。
男の、女への「愛」を象徴するかのようだ。


相手への愛のように見えたもの。
それは「自分への愛」なのだ。

女を愛していたように見えて、男は「自分を愛していた」のだ。
自分が可愛かったのだ。
自己愛であり自己憐憫でありエゴなのだ。
愛している自分、愛しすぎている自分を愛しているのだ。
自分が嫉妬する分だけ、相手にも嫉妬して欲しいのだ。
自分が好きな分だけ、相手にも好きを求めるのだ。
自分が苦しんでいる分だけ、相手にも苦しみを与えたいのだ。
相手が傷つくことより、自分が傷つかないことの方に本当は関心があるのだ。

そう、それは自己愛にすぎない。

ボクたちは、わりと気軽に「愛」を口にする。
でも、それは決して相手のためではない。
自分のためなのだ。
そもそもそのレベルの愛とは、すべて自分のためだけのものなのだ。

「パリ、テキサス」|座右のシネマ (via handa) (via gkojay) (via urza358) (via konishiroku) (via fialux) (via axl5727) (via darylfranz) (via indivi) (via yksk) (via reretlet) (via mcsgsym) (via petapeta) (via lovecake) (via sakimura) (via yaruo) (via yaruolikes) (via yaruo) (via hm7) (via hicobeli)
「でもアフリカの飢餓よりマシだろ?それに比べたら日本は豊かじゃん」

と真顔で、何の屈託もない顔で言われた。

経済上の理由で高校を中退した子供の話をしていた時にである。


もう、いい加減にしてほしい。

この「アフリカよりマシ」という論法、なんでこんなに流行ってるんだろう。それが反論になると本気で思ってるんだろうか。
僕たちは、一日で達成できることを多く見積もりすぎるのに対し、
より長い時間をかけて達成できることについては
低く見積もりすぎる傾向があるからだ。

世界征服のためのやさしい手引き

確かにそうかも知れない。

(via sawutwo) 2010-09-08 (via gkojay)