ougatakenji
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Elle Italy March 2009 photographer: Luis Sanchis model: Nastya Kunskaya

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Elle Italy March 2009
photographer: Luis Sanchis
model: Nastya Kunskaya

「もう十分過ぎるほど働いたし、2次元のゲームの世界も卒業して、3次元の現世を卒業する準備を始めようと思ってます」
明治天皇の玄孫で作家の竹田恒泰氏が25日、自身のYouTube公式チャンネルで、舛添要一東京都知事の韓国訪問について「都知事ごときが舐めたことすんじゃねえ」などと怒りをあらわにした。

舛添知事は23日から、ソウル市長の招待により都知事としては18年ぶりに韓国を訪問した。訪韓前には「都市外交で日韓関係をよくしたい」と話し、2020年の東京五輪と18年の平昌冬季五輪の連携を深めることなどに意欲を示していた。

竹田氏は、知事の訪韓を伝えた朝日新聞の記事を読み上げると「日韓関係の改善をするために(韓国に)出かけるというんですよ。なんという出過ぎた話ですか」と批判。外交権があるのは自治体ではなく内閣だとし、舛添知事は「都市間の国際親善」の活動にとどめておくべきだと指摘した。

怒りの収まらない竹田氏は、「あんた(舛添知事は)いつから外務大臣になったのって話ですよ。都知事ごときが舐めたことすんじゃねえぞ」「『外交』言うな」とまくし立てた。
syuu:

(Twitter / sikano_tu: 全くその通り。RT …から)
研究者たちは、研究対象とした分野全体として、練習量が技量の差の原因のわずか12%しか占めていないことを発見しました。
本当に驚くべき点は、練習量が技量に与える影響の大きさが、分野によって異なるという点です。
ゲームでは、練習量が技量の差の原因に占める割合は26%でした。
音楽では、21%でした。
スポーツでは、18%でした。
教育では、4%でした。
専門職では、わずか1%でした。

七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よく話すんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。

学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴というと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。

八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませて食べる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、なぜなら赤(いちごジャム)やむらさき(ブルーベリージャム)が白いのに混ざるのがおもしろいから、あと、わざとちゃんと混ぜないで甘いところと甘くないところをつくる、生の食パンとか意味わからない、不味い、というようなことが延々と書いてあって、私はいたく感動した。ニコルソン・ベイカーみたいだ。徹底した脈絡のなさがすばらしくリアル。他者の価値観を一顧だにしない主観がなんてクール。

たぶん彼女は記憶と思考を選ぶことが、まだうまくできないのだ。それに抽象概念の操作にも慣れていない。だから頭の中を時間軸だけで切り取ったような文章を書いている。

これはすごくいい文章だよ、と私は言った。七五三なんか放っておいたっていいじゃない、ここはひとつ朝ごはんまででいこうよ、捨てちゃうのもったいないよ。私がそう提案すると、彼女は重々しくうなずいて、まあね、これ自分でもわりと気に入ってる、と言った。

でも彼女はそういう作文を書きつづけるにはいかないことをちゃんと知っていて、きれいにまとまった文章を作る方法を知りたがってもいた。だから私は作文を終わらせる方法を教えることにした。

あのさ、まず書くことを決めるじゃない、最初に。七五三とか。で、書くことの前とか後とかあるでしょう。七五三の日の朝ごはんみたいなこと。それはちょっと短くする。どうやって短くするかっていうと、八枚切りのパンを反りかえるまで焼いてから反対側もちょっとあぶって、それからバターをつけて、って書きたいところを、お父さんとお母さんと一緒にパンを食べました、って書くんだ。もちろんお母さんが起きてからよくわからない部屋着に着替えてそれから出かける格好になることの謎についてとか、お父さんのひげそりの音が変化に富んでいて魅力的だということとかは書かない。もっと省きたかったら、ただ「朝ごはんをすませて」、って書く。文いっこもいらない。

もっと短くしたかったら、と彼女は訊いた。私は彼女の真似をして重々しくうなずき、「支度をして家族みんなで家を出ました」って書くの、と言った。もっと、と彼女が言うので、神社の階段を登っているところから始めてもいい、と私は教えた。もちろん一日は朝起きたところからはじまる、でも作文では石段に足をかけたところからはじめてもいい、なんなら帰ってきたところからでもいい。

彼女はやはり重々しくうなずき、ありがとう、と言った。どういたしましてと私はこたえた。

でもそれはほんとうはつまらないことなのだ。誰かの要求にあわせて作文を刈りこむなんて、書く意味があることとないことをふるいわけるなんて、所定の枚数にきれいにおさめるなんて。思いついたことは思いついた順に全部書けばいいんだけどな、と思う。

ieg:

Lyuba Burakova 
ところで最近は幼い女の子を監禁した上で「自分の理想の女性に育て、いずれは結婚しようと思った」という男性が話題だけど、これがいたいけな社畜を深夜まで会社に監禁した上で「自分の理想の社員に育て、いずれは幹部にしようと思った」というのと酷似してる事に気づき、若干身の危険を感じてきた。
Twitter / qlambon (via hutaba)
「OL進化論」の4コマの1本に「安すぎるものって嫌なの。見えないところで誰かが無理させられてるような気がして」という台詞がありますが、本当にそう思う。
sasaq:

(by Tokutomi Masaki)